私が潜在意識や超意識興味を持ったことをきっかけや、それが仕事になりこうやって発信できることを大変うれしく思います。
今、みなさまのお役に立てることを心から嬉しく思います
ここにいたるまで、いろいろと辛い過去があり。
それを今から書き綴っていきたいと思います。
私は現在埼玉県に住んでいて生まれは東京都です。
幼少期の生い立ちから結婚や、夫の仕事などを機に都内、神奈川県、埼玉県へ、都内近郊にいながら4回の引っ越しをしています。
機能不全家族の中で育った私の記憶は
家庭内ではとても「辛い」ものが多かったです。
重苦しくて自分を押さえ込まれるような感覚を日々感じていて。
いつの間にか人に合わせることを考えて、人のご機嫌を取るようになっていたのに、本当の自分が
出せていないことにも気づかず、結婚、出産、離婚、再婚、介護と人生を歩んできました。
まだ若いこともあり、人を優先にした生きかたに疑問を感じることもないく、パートナーシップ、子育
て、経済的なところ、生活全般において、苦しい状況を立て直すのは私の役目と。という信念があ
って必死に生きてきました。
当時は3つの仕事を掛け持ちして、ファミリーレストランのキッチンのお仕事もして夜中まで働く日々が3年ほど続きました。
今振り返るとちょうど子供が思春期で多感な時期に、子どものことを気にもかけず家族のために必死で生きていたと一番つらい時期でした。
このころ娘は、不登校に行渋り。でも私は子供を第一の優先順位にできなかった。気にかけているものの対峙することは避けていたというか、そんな余裕がなかったんだっと思う。
夫は、あまり家のことを考えてくれない。私が大変なのに一つも労ってくれないと私の感情は爆発寸前でしたが、私は感情を爆発させるほど醜いものはないと思っていて、話し合いはするものの、改善する気配がなく喪失感を感じていた夫との関係は、もちろんうまく行くわけもありません。
引っ越しをして環境が変われば状況も好転するだろうと、描いていた夢は、みごとに壊れ、私はますます自暴自棄になっていました。
この先どの様に生活していこうか…相談をもちかけるも、答えはいつも同じ。
仕方ないでしょう。どうすればいいの?
と言いながらも生活の流れを変えない夫に、幼少期から私がやらなければという信念が、自分を苦しめてまでも頑張らないとという気持にさせていました。
このころはもう楽しみやら、自分らしさは失っていたと思います。状況はあまり変わらないまま更に月日は経ち
その後、母が他界して私の時間が少しずつ増えてきた時、私は病気になってしまいました。
日常生活は問題ないということでしたが、経過検診は必要で今も通っています。
そのころ今度は息子が会社を辞めてしまっって、数年バイト、ニート生活だったんです。
神様は、私に、一番大切なのは自分だと気づかせてくれて、そして次に愛するべき人が誰なのかということを教えてくれて、そしてそれを自分で体現する時間をくれたと思っています。
それからわたしは、心理学、脳科学、潜在意識、スピリチュアル、超意識と
自分を否定するものなど何もない。自分そのものでいる事、自分を大切にすることをもっと深く知り
癒され、自分を取り戻しや、やっと自分を肯定して認められるようになって今があります。
もし今、子どものこと、夫のこと、又は人間関係で悩んでいる人がいたら、それは絶対意味のあるもので、必ず解決できるし、その先に望む未来が必ずある事をお伝えしていきたいと思っています。
それができるようになったら、夫との関係も改善し今は感謝の言葉を言い合えるほどに。
本当に嬉しいありがたい感謝しかない。