「考えすぎてしまう私」—幼少期から今までの気づき
私は昔から、何かをするときに「相手がどう思うか」を気にしすぎてしまう癖があります。
それが自分にとって自然なことだったので、当たり前のことで、長い間「これは自分の性格なんだ」と思っていました。
でも最近は、日々私が問題とする出来事は「私が育った環境の影響があるんだ」気づくようになりました。
「何かすると恥ずかしい」と言われて育った幼少期
私の母はとても心配性な人でした。
子どもが転ばないように、間違えないように、恥ずかしくないようにと、常に先回りして注意してくれていました。
「そんなことしたら恥ずかしいよ」「みんなにどう思われるかな?」そんな言葉を何度も聞いて育ちました。
母は、私のことを思って言ってくれていたのだと思います。
でも私の中には、いつの間にか「人の目を気にしなければならない」「自分の気持ちよりも周りの評価の方が大事」
という感覚が染みついてしまいました。
例えば、学校で手を付けるときも「もし間違えたら恥ずかしい」と思ってなかなか発言できませんでしたし、
新しいことに挑戦するときも、「失敗したらどう思われるんだろう?」と考えてしまうことが多かったのです。
「相手にどう思われるか」を気にする癖
大人になってからも、この癖はなかなか抜けませんでした。 特に、人と接する仕事をしていると、
相手の気持ちを考えすぎてしまい、気を遣いすぎてしまうことがよくあります。
それによって誤解を与えてしまった事もあるのではないかなと・・・今振り返るとそういう出来事もあったと思います。
例えば、メールやメッセージを送るときも、「この言い方で大丈夫かな?」「失礼になっていないかな?」と何度も見直します。
日常のちょっとした出来事でも、「こうしたらどう思われるかな?」と頭の中でぐるぐる考えてしまうことがあります。
最近、そのことに気づいたのは、ある出来事を振り返ったときでした。
そのとき私は、「なぜ私はこんなに気を遣っているんだろう?」と冷静に考えることができたのです。
そして、「これは昔からの思考の癖なんだ」と、改めて理解することができました。
一歩ずつ「自分に正直に生きる」ことを意識する
気が付いたからといって、すぐにこの癖がなくなるわけではありません。
でも、以前よりも「本当は私はどうしたいの?」と自分に問いかけることが増えました。
「相手にどう思われるか」を気にすることは悪いことではないし、相手を思う気持ちは大切にしたい。
でも、それだけを優先して、自分の気持ちを置いて決めないようにしたい。
今は、少しずつ「私はどうしたい?」を優先する練習をしているところです。
もし同じように「考えすぎてしまう」「気を遣いすぎてしまう」と感じている人が一度、一度自分に問いかけてみてほしい。
「本当は私はどうしたい?」と。
その小さな問いかけが、自分らしく生きる第一歩になるのではないかと思います。