優しさと甘えの境界線
私は昔から「優しいね」と言われることが多かった。
人の気持ちを考えるのが自然と身についていたし、困っている人を見ると放っておけない性格だった。
友人が悩んでいれば相談に乗るし、家族が頼ってくればできるだけ力になろうとした。
それが当たり前だと思っていた、「優しさは大切なこと」と信じていた。
でも、気づいたら私の周りには、私に甘えてくる人ばかりになっていた。
たとえば、友達。
何かあるたびに「聞いてくれる?」とLINEが来る。
最初は親身になって話を聞いていたけれど、いつの間にか毎回同じ悩みを聞かされるようになった。
アドバイスをしても行動を変えるわけでもなく、「そうだよね」と言いながら、また次の愚痴が始まる。
家族もそうだった。
「ちょっとお願い」と言われれば、できる範囲で手伝うつもりだった。
でも、いつの間にか「やってくれるよね?」が当たり前になり、頼まれることが増えていった。
断ろうとすると、「なんで?今までやってくれてたじゃん」と不満そうな顔をされる。
私はいつから、みんなにとって「やってくれる人」になってしまったんだろう?
優しさって、こういうことだったの?
私はふと、疑問に思った。
優しさって、ただ相手に尽くすことじゃないはず。
なのに私は、自分の時間も気持ちも削って、相手のために動いていた。
でも、それは本当に「相手のため」になっていたんだろうか。
気づいたのは、ある時、私が少し距離を置こうとしたときだった。
友達からの相談に「今ちょっと忙しくて、また今度でもいい?」と伝えたら、
「冷たくなったね」と言われた。
家族に「今日は無理」と言ったら、「前はやってくれたのに」と言われた。
そこで初めてわかった。
みんなが私に甘えていたんじゃない。
私が「なんでも受け入れる人」になってしまっていたんだ。
優しさと、都合のいい存在になることは違う。
優しさは相手を思う気持ち。
でも、それが一方的な負担になってしまったら、それはただの自己犠牲になる。
私がしんどくなるまで尽くし続けることは、本当の優しさじゃない。
だから、私は少しずつ変えていくことにした。
・頼られたとき、「自分でやってみたら?」と伝える。
・話を聞くとき、相手が前向きになれるような関わり方を意識する。
・自分が無理なときは、「ごめんね、今はできない」と言う。
最初は罪悪感があった。
でも、そうすることで本当に必要なときに、心からの優しさを届けられるようになった。
「優しいから」と甘えられるのではなく、「信頼できる人」としてお互いを尊重し合える関係を築いていきたい。
優しさは、自分を大切にすることから始まる。